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◆◇◆最高の上司が現れた◆◇◆
川相選手がバントの腕を磨くことを決意し、猛練習を積んでいた頃、彼を取り巻く環境が大きく変化する事態が起こりました。

監督が交代したのです。

守備固めなどの便利屋として川相選手が1軍に登録されていた頃、巨人軍の指揮官は王貞治監督でした。

王監督が巨人軍を率いていたのは1984~88年の5年間。

その間、Bクラスにこそならなかったものの、リーグ優勝が1度だけで、88年には中日の独走を許したことから、その年の秋に王監督は辞任することになったのです。

そこで次の監督として招聘されたのが、王監督の前に監督をしていた藤田元司でした。

打者出身の王監督の時代においては、打撃優先となっていたチームのカラーが、投手出身の藤田監督に代わったことで、守備優先に転換されました。

こうなると、俄然注目されだしたのが、今までくすぶっていた川相選手であったということは改めて言うまでもないでしょう。

既に守備は名人の域に達し、バントや右打ちなどの小技も身につけていた彼は、1点を守りきる藤田監督が目指す野球に必要不可欠な存在だったのです。

そんな彼に対する期待を表すかのように、川相選手の姿にも目に見える変化が起こりました。

それまでの背番号「60」から、巨人軍で初めての背番号「0」に変わったのです。

つづく
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