近年の一極集中的ブームの影響などで、見つけづらくなった一流の人や物などを掘り起こしていきます。 もちろんリンクフリーです!
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◆◇◆犠打世界記録◆◇◆
バント。

綺羅星の如き逸材が集まる巨人の選手の中で、生き残っていくために川相選手が身につけた技術。

改めて説明しておくと、日本語で「犠打」と訳すこの技術は、自分の打席を犠牲にし、走者を二塁や三塁に送るもので、自分の存在を常にアピールしていかなければならないプロの世界においては、やりたがる人がまずいないものです。

しかも、一度ベンチからバントのサインが出されれば、確実にランナーを進めることを求められるため、そのプレッシャーは半端なものではなく、見た目とは裏腹に非常に難しい技術なのです。
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◆◇◆監督交代◆◇◆
2001年限りで長島監督が監督職を辞し、川相選手が巨人軍に入団した際に、レギュラーを張り、三遊間をともに守っていたこともある原辰徳が新しく監督となりました。

長嶋監督と言えば、アグレッシブな野球で、5回まではバントを用いないとまで公言していた程。

そんな監督が変わり、気心の知れた監督になったことで、川相選手にとっては随分と野球をやりやすい環境となるはずでした。
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◆◇◆控えとしても一流◆◇◆
レギュラーを若い二岡に奪われ、控えにまわることが多くなった川相選手。

それでも、チームの中での居場所まで失ったわけでは、もちろんありませんでした。

チームの方針は変わっても、監督の好き嫌いはあっても、川相選手が習得したバントに代表される小技の数々は、チームが勝利するために欠かすことのできないものだったのです。
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◆◇◆世代交代の波来る◆◇◆
1998年のドラフトで、二岡智宏が巨人に入団しました。

彼のポジションはショート。

つまり川相選手にとっては、球団が送り込んだ何人目かの刺客、と言えば少々大袈裟ですが、残念なことに実際にそのような存在になってしまったのです。
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◆◇◆大艦巨砲主義の狭間で◆◇◆
落合、広沢、ハウエル、清原、石井、江藤、マルティネス。

長嶋監督になってから、巨人が他球団より獲得した4番打者の名前を思い浮かべて書きました。

加えて、毎年のドラフトにおいても、長打力のある選手が続々と入団し、監督交代後の数年で、巨人の性格は大きく様変わりしていったのです。
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◆◇◆生まれるべくして生まれた確執◆◇◆
バント、右打ち、堅実な守備などで、チームに貢献していた川相選手。

目立つことの少ないそれらのプレーも、少しでも野球を知る人が見れば、試合を組み立てる上で欠かせないものばかりであるということは、火を見るよりも明らかと言っても過言ではないものでした。

このようないわゆる玄人受けする川相選手の、自らを殺してチームに貢献する数々のプレーに対して、本来最も喜ぶべき立場であるはずの監督、長島茂雄はしかし、あまり魅力を感じていなかったのです。
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◆◇◆後半部に進むにあたって◆◇◆
川相選手が力を蓄え、巨人軍に不可欠な一流選手になるまでを書いた前半でしたが、これからの後半では、その趣がかなり異なってくることになります。

その理由は、合わない上司とはどう付き合えばよいか、下降期にどのように過ごすべきかといった、ネガティブな部分が多く出てくることになってしまうからです。

ただ、これだけを読んで、落ち目の時の話など面白く無さそうだから読まなくていい、と決めつけてしまわないで下さい。




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◆◇◆選手としての絶頂◆◇◆
監督が替わっても、内野陣の要・打線のつなぎとして、チームに欠かせなかった川相選手。

守備の面ではゴールデングラブ賞の常連となり、バントの技術もますます磨きが掛かり、さらに1994年には打者としての大目標の一つである3割を打つまでになりました。

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◆◇◆選べない上司に自分を選ばせる◆◇◆
1992年の巨人は2位でしたが、Jリーグ開幕や若貴フィーバーなどの影響で、巨人軍の人気が低迷していると言われるようになっていました。

その煽りを受けるような形となって、川相選手を1軍のレギュラーの座に引き上げ、4年で2度の優勝を果たした藤田監督が退任を余儀なくされてしまったのです。

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◆◇◆余人をもって代え難し◆◇◆
度々怪我に泣かされた川相選手。

しかし、大きな怪我のなかった1991年には前人未踏の大記録を成し遂げたのです。

今はヤクルトの宮本選手に抜かれてしまいましたが、それまでに自らが作ったシーズン記録を大きく塗り替える66個の犠打を成功させたのです。
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◆◇◆好事魔多し◆◇◆
藤田監督の下で、「2番 ショート 川相」の地位を確保した川相選手のその後の活躍については、改めて言う必要はないでしょう。

守備に、バントに、右打ちに、ショートで2番打者の選手が行うべき全てのことを川相選手はベンチの指示通り確実に行っていきました。

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◆◇◆一流プレーヤーの仲間入り◆◇◆
苦難の時代が永久に続くことはない。一生懸命努力をしていれば、いつかは自分の方に風が吹いてくる。

そんな言葉が見事に当てはまる状態になったのが、この時の川相選手でした。




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◆◇◆最高の上司が現れた◆◇◆
川相選手がバントの腕を磨くことを決意し、猛練習を積んでいた頃、彼を取り巻く環境が大きく変化する事態が起こりました。

監督が交代したのです。

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